サプールとSMAPとMr.S

 2014年9月4日~2015年1月12日まで開催されたコンサートツアー「Mr.S -SAITEI DE SAIKOU NO CONCERT TOUR-」へ赴いた。21作目のアルバム「Mr.S」を引っ提げて行われた五大ドームツアーだ。ライブといえば本人たちのパフォーマンスはもちろんだが、ステージセットや衣装も見どころのひとつだろう。このコンサートのオープニング、アンコール、販促用のポスター、コンサートグッズ用パンフレット、そしてアルバム「Mr.S」のリード曲でもある「Mr.S-SAITEI DE SAIKOU NO OTOKO-」のPVの衣装は同一のものであった。五人がそれぞれカラフルなスーツを着ているのである。以下はサプールたちとSMAPの販促用看板である。スーツのカラーの並びはもちろんのこと、背景となる街並みまで意識しているのがうかがえる。完璧なパロディだ。


 このコンサート構成を考えているのはメンバーの香取慎吾だ。彼は芸能界屈指の”服バカ”として知られ、桁外れな額を服に捧げ、メゾンキツネとコラボレーションしたTシャツ付きで私服本を出すほどだ。おそらくこのビジュアルにも彼が関わっていると考える。また、余談だが、その後2015年2月にリリースされた「華麗なる逆襲」のPVもサプールが出ているギネスビールのパロディだと考えられる

 

 

 そもそもサプールとは何なのか。
THE SAPEサップ
コンゴにおいて「エレガンス」は非常に重視されている。スタイルが文化遺産であると高く評価されている国は他にない。その文化が産み出した伝統こそが「おしゃれで優雅な紳士協会」、通称「サップ」であり、それを体現する「サプール」なのだ。
サップの始まりは、フランス統治時代のコンゴまで遡る。多くのコンゴ人たちはフランス流のエレガンスに憧れ、(中略)70年代から80年代にかけてコンゴからフランスに渡った多くの移民が、その後「エレガンス信仰」を手土産にブラザビルへと舞い戻ってくる。
(中略)
サプールたちの派手なワードローブは、彼らが住む慎ましい住環境に差し色のような華やかさを与える。彼らの生活とそのファッションは正反対であるかのように見えるが、美しく洗練されたスーツを身にまといブラザビルの街を歩く自身の完璧な着こなしについて、彼らは誇りを持ち、情熱を傾けている。(SAPEURS THE GENTLEMEN OF BACONGO ダニエーレ・タマーニ著 青幻舎 より)

  彼らは脈々と続く伝統ある集団だったのだ。そして、コンゴは世界最貧国のひとつとされる国である。最貧国という言葉とファッション・エレガンスという言葉はかけ離れているように見える。最貧国の一つに住むそんな彼らがなぜファッションに身を傾けるのか考えていきたい。
 コンゴのあるアフリカは1870年代からヨーロッパ帝国主義の餌食となった。植民地政策に際して、白人至上主義が説かれることもあった。そして1960年アフリカの年と呼ばれるこの年にコンゴもベルギーからの独立を果たした。しかし独立後もクーデター・内乱・蜂起など一国として様々な困難に直面し、今に至る。公用語はフランス語で、宗教はカトリックを中心としたイスラム教徒が85%、イスラム教が10%、その他5%となっている。2)より
 サプールの起源はいろいろ調べてみたが、定説はないようだ。それだけ昔から発端があるようだ。有力なのは、1920年代のコンゴ社会運動家アンドレ・マツワを起源とする説だ。パリからコンゴへ凱旋する際、パリの正装のまま表れ、人びとを驚かせたという。また1940年ごろ、コンゴの仕立て屋がパリの衣服をまねてつくり、それが伝播したとされる説もある。ただ、アンドレ・マツワがサプールたちに大きな影響を与えているのは確かで、彼を信仰するものたちを「マツワ二スタ」と呼ぶ。そもそもサプールはただファッションを楽しむというよりも主義を体現しているという要素が強いように思う。サプールのひとりは「サップとは平和主義的な運動」と述べている(1より)。またあるひとは、「サプールになるための必要条件は、すべて教会の説教から学びました」と述べている(同上)。そして、サプールたちはパリへの信仰心も強い。
多くの者はビザを取得できない。
パリに良き、究極のエレガンスを身に着けた高貴な存在としてブラザビルに戻る、という夢
「パリジャンを恐れたりはしません。ブラザビルのサップも偉大な文化なのですから。」
前述のとおり、サプールの起源はあいまいなものだが今やただの同趣味の群れの域ではなくなっている。彼らは独自のセンス、独自のふるまい、独自の信念を持つ。日本人にファッションとは何かと問うたら、表現の手段と返事が来るかもしれないが、彼らは主張と答えるのではないかと思う。身を削って働いたお金を、月の半分などではなく数か月分のスーツを買う。先進国に住む私たちでもなかなか踏み出せないことを平気でやってのける。それができるのも後発国だからだと私は考える。情報がむやみに入ってこない分、自分たちの信念を強く持てる。情報がむやみに入ってこない分、自分たちの信念を強く持てる。情報が多すぎる日本のような社会では、批判など聞きたくないような情報も垂れ流される。彼らがそれで動じるかはわからないが、それによって世間の目ももしかしたら揺らぐ可能性もある。もしかしたら革新的な風が吹いて、サプールのルールを変えてネオサプールなんてものが誕生する可能性だってでてくるかもしれない。だから、これまでサプールが脈々と受け継がれ、周囲から目線を集め、カリスマ的な支持を集めているのは、コンゴだからこそなのではないだろうか。先に引用した、パリに関する記述も、ある種盲目的な信仰と感じる。パリジャンがエレガンスで高貴な存在と述べているが、全員が全員そうとも限らないはずだ。もし彼らがそういったところを見てしまった場合どうなるだろうか。サプールの根底にある気持ちが揺らがないと言い切れるだろうか。コンゴという開発途上国でサプールが勃興し、支部などはあるもののほとんどコンゴで完結しているのはこういった理由からだと考える。内乱などの争いなどではサプールは廃れない、むしろつながりが強まるとは思うが、これからコンゴという国が発展していくに連れて、サプールがどうなっていくのか見ていきたい。

 

 

参考文献
1)SAPEURS THE GENTLEMEN OF BACONGO ダニエーレ・タマーニ著 青幻舎
2)http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/congomin/data.html#01